安田作兵衛の顛末☆ | げむおた街道をゆく

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旧明智家臣の安田作兵衛は強者として知られたが、本能寺の変で信長に一番槍をつけ、
森蘭丸を討ち取ったなどという武功を、いつまでも鼻にかけたため、

上方の武士から敬遠され、九州で仕官を行った。 

 

運良く立花宗茂からお呼びがかかった。

宗茂、「さて、具体的な話に入ろう。知行はいかほどが望みかな?」
 

作兵衛、「左様ですな、1万石いただきたい。1石欠けてもお仕えできませぬな。」

福島家の槍名人・可児才蔵で1250石。

作兵衛が1万石など、ボッタクリにも程がある。
 

宗茂、「…そう申すからには、お主は槍の他に特技でもあるのか?」
 

作兵衛、「特に何も。ただ、いかなる戦場でも一番槍をつけるのが拙者の特技ですかな。」

さすがの宗茂もこの減らず口には腹が煮えたが、一応老臣たちと合議した。
家老・十時摂津の従弟で生涯に感状数十枚という十時伝右衛門は作兵衛を罵った。

「関白殿下に『鎮西無双』と呼ばれし当家に何たる言い草!
しかし、呼んでおいて帰れではあのような男、

諸侯にどんな噂を吹いて回るか分かりませぬ。
ここはひとまず召抱えておきましょう。」

宗茂、「お主を召抱えてやろう。ただし、その『特技』とやらは必ず使ってもらうぞ。」
 

作兵衛、「言われるまでもなく、一番槍を逃せば即刻、牢人いたしましょう。」

文禄2年(1593)、碧蹄舘の戦いで立花家は大将・李如松の軍と戦った。
安田作兵衛も参戦し、

「立花家に俺ほどの剛の者はおらぬぞ!」

と相変わらずの減らず口で馬にムチをくれ、駆け出した。

 

単騎駆け抜けた作兵衛が一番槍を突き刺さんとしたその瞬間、

「一番槍、十時伝右衛門なり!」

 

なんと作兵衛の後ろに隠れていた伝右衛門の槍が伸び、
敵兵を突き倒してしまった。

作兵衛は即日クビになり、旧知の寺沢広高に拾われ失意のうちに死んだ。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 明智三羽鳥の一、安田国継

 

 

 

ごきげんよう!