城中では、坂本城にやって来た弥平次(明智秀満)を見付けて、
上下に至るまで勇み喜ぶこと限りなかった。
それから弥平次は人数に役目を行き渡らせて、
「ざっと務めよ。」
と申した。
人数は偉丈夫ではなかったが、そこかしこに配置した。
その後、湯漬けを取り寄せてゆるゆると食すると、天守に鉄砲の薬を開けさせた。
弥平次が天守から寄手を見渡せば、すでに城を半分ほど取り巻いていた。
寄手は堀久太郎殿(秀政)である。
弥平次殿は天守から降りて塀の周囲を駆け回り、自身でそこかしこで鉄砲を撃ち、
城を持ち固めているように敵に見せかけ、
また天守へ取って返すと、諸々の道具を取り出した。
弥平次は新身国行の刀と吉光の脇差、虚堂の墨跡を夜の物(夜着や寝具)に包み、
目録を添えて、
「やあやあ、寄手の人々へ申す!
堀監物殿にこれを渡されよ!
この道具は私ならぬ天下の道具なれば、
ここで滅しては弥平次は傍若無人と思し召される故、渡し申す!」
と申し、天守からこれを落とし申し候事。
ややあって堀監物は返事をし、
「御目録の如く、少しも違いなく受け取り申した!
しかしながら、申したき子細がある!
日向守殿(明智光秀)が内々に御秘蔵なされた、
真の倶利伽羅の吉広江の御脇差はどうしたのか!」
と尋ねた。
これに弥平次は返事して、
「その道具は上様(織田信長)より日向守が拝領された御道具である!
秘蔵の吉広江の脇差は久太郎殿やその他の大名衆も御存知のように、
越前国が破れた時に、朝倉殿の御物奉行が肌に差して出て行ったところを、
後に日向守が密かに聞き出して求め置かれたものだ!
渡したいとは存ずるが、光秀が命もろともと内々に秘蔵された故、
私めの腰に差して死出の山にて、日向守に渡したいがためである!
その事を御心得なされたい!」
堀監物とは現在の丹後守殿(秀政の従甥直寄)の親の事にて候。
弥平次は真の倶利伽羅の切り物のある吉広江を、言葉を違えずその時に失わせた。
「時刻が移って敵が乱入すれば外聞は見苦しいであろう。」
と弥平次は覚悟を定め、日向守殿の御前所(正室)と自身の内儀を手に掛け、
ひたひたと刺し殺し、その脇差を取り出して天守の戸を開いた。
「寄手の人々は御覧になれ! 弥平次自害の様子を見習って手本にせよ!」
と弥平次は言うと、腹を十文字に掻き切り、伏せざまに鉄砲の薬に火を掛ければ、
煙となって一天の空へ昇ったのだということである。
後に焼け跡の灰を探してみると、残りの刀や脇差、その他の道具の形は確認できたが、
吉広江の脇差は見付からなかった。
その後、古井戸からこれを取り出したが、すでに腐ってその形も見分けられず、
「おそらく吉広江であろうか。」
と人々が推量するだけであったと聞いている。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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