怨みを恩にて報ず☆ | げむおた街道をゆく

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博労淵は大坂冬の陣において、大坂方第一の要害の地であった故に、

豊臣家は、これを薄田隼人正(兼相)に守らせていたのだが、

一戦にも及ばず陥落し、その上、頼み切った平子(正貞)父子を討たせたのは、

薄田の不覚より生じたことであった。

 

さらに、この博労淵攻めのあった夜に彼は、
陣所に在らず、そのため、

『これは関東へ内通したのだろう。』

と秀頼公に訴える者もあった。
 

これによって秀頼は、大野治長を召され、糾明の上薄田を誅殺するよう以ての外に命じた。

大野は仰せを奉り御前を立ったものの、薄田は大剛の勇士であり、

さらに気早き者であるので卒爾の振る舞いをすべきではないと、

直ぐに織田有楽の元へ立ち寄り、この旨を相談した。
 

有楽はこのように申した。
「薄田が内通したとの事は、全くの虚説である。

彼は去る頃、平野を焼き払う功成らず、

またこの度の不覚により、東国(幕府方)がこのような噂を流したのだ。
怨みを恩にて報ずという事がある。

貴殿は御前を宜しきに執り成し、薄田の御免を願われるべきだ。」

大野も尤も同意し、

「然る上は私一人で申し上げても御承引頂くことは計り難い。

貴殿と諸共に御諫言申すべし。」

と、両人打連れ御前に出、有楽が理を尽くして弁護したことで、遂に御免あった。

その後、大野の陣所が出火した時、それを期に、

池田武蔵守、同左衛門督、森右近太夫等の軍兵が、
侵入しようと進んできたのを、薄田が勇戦して防いだため、幕府方は攻め倦み引き取った。
これは全く、薄田の働き故であったと云われる。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 橙武者、薄田兼相

 

 

 

ごきげんよう!