博労淵は大坂冬の陣において、大坂方第一の要害の地であった故に、
豊臣家は、これを薄田隼人正(兼相)に守らせていたのだが、
一戦にも及ばず陥落し、その上、頼み切った平子(正貞)父子を討たせたのは、
薄田の不覚より生じたことであった。
さらに、この博労淵攻めのあった夜に彼は、
陣所に在らず、そのため、
『これは関東へ内通したのだろう。』
と秀頼公に訴える者もあった。
これによって秀頼は、大野治長を召され、糾明の上薄田を誅殺するよう以ての外に命じた。
大野は仰せを奉り御前を立ったものの、薄田は大剛の勇士であり、
さらに気早き者であるので卒爾の振る舞いをすべきではないと、
直ぐに織田有楽の元へ立ち寄り、この旨を相談した。
有楽はこのように申した。
「薄田が内通したとの事は、全くの虚説である。
彼は去る頃、平野を焼き払う功成らず、
またこの度の不覚により、東国(幕府方)がこのような噂を流したのだ。
怨みを恩にて報ずという事がある。
貴殿は御前を宜しきに執り成し、薄田の御免を願われるべきだ。」
大野も尤も同意し、
「然る上は私一人で申し上げても御承引頂くことは計り難い。
貴殿と諸共に御諫言申すべし。」
と、両人打連れ御前に出、有楽が理を尽くして弁護したことで、遂に御免あった。
その後、大野の陣所が出火した時、それを期に、
池田武蔵守、同左衛門督、森右近太夫等の軍兵が、
侵入しようと進んできたのを、薄田が勇戦して防いだため、幕府方は攻め倦み引き取った。
これは全く、薄田の働き故であったと云われる。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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