老いのため☆ | げむおた街道をゆく

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慶長14年(1609年)7月27日、

この日、故太閤(秀吉)の政所(北政所)方の孝蔵主が京を出て、
駿河に下られた。

 

これには、このような理由があった。

木下肥後守家定に、遺領が2万石あり、
駿府では、彼の子息である木下勝俊、木下利房の両人に、

この知行を分け与えるよう提言したのだが、

北政所は、この遺領を全て木下勝俊に相続させ、木下利房には何も与えなかった。

このことを知った大御所・徳川家康は大変不快に思ったが、

「この措置に、理由があるのなら聞きたい。」

と、孝蔵主を駿府に召し下したのである。

この頃、近年、北政所は老いのため気が違い、このように不合理なことが多いと言われた。

この二万石に関しては、当面は幕府によって召し上げとなり、板倉伊賀守が管理した。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 従三位・北政所、ねね

 

 

 

ごきげんよう!