或る本によると、豊臣秀頼は、大坂落城の後、薩州に下向されて島津家を頼み蟄居、
種子島蔵人と改名されたという。
寛永の頃、京都の具足師何某の所に、薩摩より鎧の修復が依頼された。
具足師はそれを見るや、
「この鎧は常人の所持するようなものではない。
かつて太閤秀吉公がお召になったという、
鎧についての言い伝えと全く同じだ!」
そう思っていたが、その後、再び具足の修復を依頼され、
その具足には、
『先年秀頼公御召の具足』
と有り、先の修復の時の疑問が解決したと言ったそうだ。
また伊勢奉幣の目録に、『豊臣某』と書かれているものもあるとか。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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