秀次事件☆ | げむおた街道をゆく

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文禄四年、関白・豊臣秀次に、この頃、御謀反の企てが露見したとの事で、

七月八日、関白秀次は、聚楽を退出し高野山へ上り、同十五日、腹を御切りになった。

秀次の若君二人、並びに近習、女房の三十余輩、

洛中を引き廻され切り捨てられた。

誠は秀次の逆心は虚言であるのだが、行跡が穏便では無かった故に、

治部少(石田三成)の讒言によって、かくの如く成ったのだという。

聚楽城、并びに諸侍の家門は、伏見に引き移された。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 殺生関白、豊臣秀次

 

 

 

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