秀吉公は、近くに置いて☆ | げむおた街道をゆく

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秀吉公の於萬(秀次)様は、秀吉公の鳥取陣に供をしていた。

そこでは、宮部継潤に養子として預けられていた。
 

宮部は、陣所・辺山森という要害に居た。

鳥取城落城後は秀吉公播州へ帰陣して、
於萬様は当城に留まり、宮部に養育された。
 

天正十年の春には、秀吉公は何を思ったか播州に送り返せと命じられ、
継潤に、家老として、友田左近右衛門か田中久兵衛(吉政)二人のうち一人を付けろと、

併せて命じられたので、田中久兵衛を付けた。
 

この二人、宮部家中では、才覚武勇、優劣付かない侍で、

秀吉公も内々召し抱えたいと考えていて、
特に友田を望んだのだが、継潤が惜しんで出さないと考え、

両人のうち何れかという形にされた。
 

案の定、友田を惜しみ、田中の方を差し出してきた。
後に於萬様は播州に帰り、秀吉公は近くに置いて大変可愛がり、次第に成長して元服した。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 殺生関白、豊臣秀次

 

 

 

ごきげんよう!