徳川家康が、秀吉に臣従してしばらくのこと。
秀吉は家康を危険だと考え、とある饗宴のさい、
食事に毒を入れ、これを暗殺しようとした。
その日、席順は家康が上座であった。
だが食事が出るというとき家康は、秀吉の弟・豊臣秀長が、
自分の下座にいる事に遠慮し、秀長の下座にと席を移動した。
このため家康の場所に置かれるはずだった膳は、秀長の前に置かれ、これを食した秀長は、
その毒が回り遂に死んだのだという。
まあ事実かどうかはともかく、家康の家臣の間に、豊臣秀長の病死に際して、
そのような噂が流れたのは確かなようだ。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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