慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いも間近な信濃の出来事。
東軍の森忠政の家老である各務元正の軍が、
森家と領を接する西軍の真田昌幸の動きを牽制する為、
国境付近の警備を請け負っていた時の話である。
病床に臥せり既に指揮を執れる状態では無かった元正は、
何か思う所があったのか、息子たちを集めると一つ助言をした。
元正、
「真田の軍勢が弱々しく兵を退いても、
味方の先手の備えを崩して包囲しようとしてはいけない。
こういう時は、横に回りこませてある兵に、
味方が不意打ちを受ける事があるからだ。」
こうした元正の助言を受けて守備の任に就いた各務軍。
現れた真田の兵に鉄砲を撃ち込むと割りとあっさりと引き下がったが、
元正の言うとおりに侮る事無く備えを崩さずに決して追いかけない。
その後も何度か真田軍が現れたが、その度に鉄砲を撃って追い返すといった事が繰り返され、
各務軍はさしたる被害を出すこと無く、
適当にあしらうだけで守備の任を果たしたのであった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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