忠政と、子・忠広☆ | げむおた街道をゆく

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森忠政の三男であり、嫡子に定められていた森忠広に、縁談話が持ち上がった。
お相手は、加賀藩主・前田利常の長女である亀鶴姫。

この姫様の母親は大御所・秀忠の娘(於珠)であり、

さらに亀鶴を一度徳川将軍家の養女として引き取り、
その後、改めて森家に嫁がせるという、徳川将軍家と森家の縁組という段取りになった。
 

こんな願っても無いチャンスを忠政が断るはずもなく、

そのうち当家も伊達や前田のように、

松平の家名を許されるのかもなんて、期待をしたかも知れない。

という事で縁組の決まった忠広は、

将軍家の嫁を貰うからにはそれに相応しいお方でないといかん、
下手な噂が立っては元も子もない。と、公私共々厳重な監視をされ軽い軟禁状態に。

忠広ストレス溜まりまくり。

その後、無事結婚した忠広と亀鶴だったが、結婚後わずか4年弱で、

子を残さずに亀鶴が亡くなってしまった。


当然将軍家と森家の血縁関係も解消、松平の名乗りも許されるはずがなく、

前田家との縁談話も、その後一切無くなった森家であった。

そして大事な妻を亡くした忠広は、色々と溜め込んだストレスのせいか、

江戸屋敷にて酒色に溺れた生活を送る毎日。


この忠広の行状が知られてはならぬと思ったのか、

忠政は屋敷内に忠広を監禁し、その後、まもなく忠広は死んでしまった。

結婚後数年で亀鶴が死んだ事、その後忠広も急死してしまった事、

そしてこの件について将軍家に詳細な情報を伝えていなかった為、
忠政は亀鶴の義兄・家光、さらに亀鶴の実家である加賀前田家からもこっぴどく叱られた。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 美作津山藩初代、森忠政

 

 

 

ごきげんよう!