加藤嘉明が、会津四十万石を拝領して入部した時、白河にあった丹羽五郎左衛門長重は、
かねてから懇意の間柄でもあったので、会津まで入部の見舞いに行った。
これに嘉明は大いに喜び、酒宴を催して饗応し、酒も追々進んで興に入った時、
嘉明はこのように言い出した。
「今度のあなたの来臨は、どう感謝していいかわからぬほどである。
せめての事として、私が秘蔵する道具を進上しよう。」
そして”太郎坊”という刀を取り出し、
「これは関ヶ原の一戦が終わった後、家康公より下された名刀なのだ。」
そう言って手ずから長重に渡すと、長重は大いに喜び厚く礼を言うと、どう思ったのか、
その日のうちに急ぎ若松を起って白河へと戻っていった。
翌日になり、嘉明は、近臣たちを招き尋ねた。
「昨日、酒の興に乗じて”太郎坊”を丹羽に譲ったような気がするのだが、まさかその通りか?」
「御意の通り、進ぜられました。」
これに嘉明たちまち不機嫌となり、
「それは私が大酔して前後を忘却した上でしてしまったことだ!
例の太郎坊を出せと汝らに申し付けたとしても、
遠慮して他の刀を出すべきなのに!
ともかく秘蔵第一の道具を人手に渡したのは是非もない次第である。
急いで取り返すのだ!」
そうしてにわかに早馬をたて白河に向かわし、
「件の刀は我家の重宝第一の道具であれば、返し賜るべし。」
と申し入れたが、
長重は、
「重宝の賜り物ですから、お返し申すこと思いもよらず。」
と、一向に取り合わなかったという。
この刀はもともと織田信長秘蔵の品で。明智光秀がこれを賜り、
光秀が後にこれを愛宕山に奉納したのを、
豊臣秀吉が他の刀を納めてこれを取り出し、”太郎坊”と名づけた。
その後、徳川家康の所有となった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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