享禄5年(1532年)、勝幡城の城主であった織田信秀と、
那古野城の城主であった今川氏豊(義元の弟とも親戚とも)は、
互いに扇子箱に付け句をつけてはやりとりする歌仲間であった。
どのくらいの歌仲間かというと、那古野城の中に連歌開催中信秀が逗留する、
専用の屋敷が作られているくらいの歌仲間であった。
ある日、連歌の最中、信秀が城本丸の窓を開けた。
信秀「夏の夜風っちゅうんは、いいですな。」
氏豊「そうですな、えらいええ風や。」
信秀「あっちの窓も開けますが、よろしいですか。」
氏豊「ええ、ええ。好きにすりゃあええよ。
うちの城なんかおみゃあさんの屋敷だと思ってええから。」
信秀「それは、ありがたい、では遠慮せず。」
氏豊は夏風を楽しむ風流のためだろうと信頼しきっていた。
で、城の中に屋敷があるくらいなんだから、
織田のものがちょっとくらい大勢、
城の中に居ても、みんな気にしたりしないのである。
その夜、信秀は、にわかに城に火を放ち、
城の内外から攻め寄せて城を乗っ取ってしまった。
氏豊は、命乞いをして助けられ、京に逃れたらしい。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
こちらもよろしく
→ 織田家臣団
ごきげんよう!