西軍分析☆ | げむおた街道をゆく

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慶長5年(1600)、関ヶ原の役が進行している中、

福島正則を始めとした東軍先発部隊が、
関東より清須へ向かうという頃、

徳永法印(寿昌)は、徳川家康の御前で、このように言った。

「今度の上方の敵は、西国の大名たちが、

きっと多くの軍勢を出して遠征してくるでしょうから、
天下の安危はただ我らの一挙にかかっています。

誠に由々しき大事であります。

ただし、今度の上方の敵は大将のいない寄り合いの軍勢です。

安芸中納言(毛利輝元)、筑前中納言(小早川秀秋)、備前中納言(宇喜多秀家)、

この3人は分国に大小ありといえども、同位の国持です。
 

また岐阜中納言(織田)秀信は、小身ではありますが信長公の嫡孫であることを誇りとし、
人の風下に立とうとはしない人物です。
 

こういう状態ですので、何れを大将とも定め難く、互いに威勢を争って、

それぞれの命令を聞こうとはしないでしょう。
 

また、石田三成がいかに奉行顔をして人に誇ろうとも、

先の者達の中に、彼の命令に従うという者はいないでしょう。

そうである以上、彼らの中には同位の傍輩の命令に従うということを無念に思って、

我らの方に参る、
という者も出てくることでしょう。

また、例え我らに降参してこなくても、諸大将が心々に振る舞うような状況では、

軍勢の統帥は無く、
戦に利はありません。
然らば、今度の御合戦、御勝利間違いありません!」

徳永は美濃の案内者であったので、彼も先発隊へと派遣された。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

こちらもよろしく

→ 高須藩初代、徳永寿昌

 

 

 

ごきげんよう!