福島正則が、病死した時、その葬礼の場には、
一町四方に木の柵を結い、四方に門を立て、
この警護には木造大膳(長政)、本多対馬両人の人数が当たった。
二町は木造の人数が受け持ち、彼の人数は長柄鑓をひしと立ち並べ、
その次に控える木造手前の侍たちは鑓を段々に飾り、その様子は殊の外見事であると、
人々は褒め称えた。
残る二町は本多対馬の担当であったが、ここには長柄もなく、
それぞれが自分の持ち鑓を装備し、
そのため長いもの短いものがバラバラであり、
大変見苦しいと人々は悪しく申した。
日頃より木造大膳は、要らざる所に大気が過ぎ、
そのため経済的に苦しく、御用の役には立たない、
などと謗られていたのだが、このことがあって以降、
そういった悪口は止んだという、
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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