関ヶ原の役、岐阜城攻めの際、
岐阜中納言・織田秀信の重臣である木造左衛門(長政)は勇戦し、
手勢10人ばかりで引き退いていたのを、
東軍側よりただ一人、鑓を引っ提げ駆け来て声をかけた者があった。
「私は福島正則の与力、川村伝右衛門である! 返せ!返せ!」
そう挑発してくるのを、木造は顧みもせず静かに引いていたが、
川村がしきりに呼びかけるため木造も遂に怒り、馬を止め、
「憎き奴め! 首を討ち落としてくれる!」
と引き返そうとするのを、
家臣たちが強いて諫め、遂に城中に引き入り門戸を固めたため、
川村も是非無く引き返した。
その後、岐阜落城して木造は牢人したが、
軍功の誉れ高い人物であったので諸家から招かれ、
その中の福島正則に、一万石で客分として抱えられた。
ある時、福島正則と木造左衛門が対談していた時、木造がふと問うた。
「御家士の中に、川村伝右衛門という勇士はおられるでしょうか?」
正則は、しばらく考え、
「直参の侍にはそういう名前は無い。与力共の中にはいるだろうか?」
そう近習に申し付け調べさせたところ、早速この川村伝右衛門を呼び出した。
正則は、川村を近くに招き、木造に、
「この者が、川村伝右衛門である。」
と紹介した。
木造は川村に尋ねた。
「いつぞやの岐阜での合戦において、
私が引き上げていた時にただ一騎にて『返せ!返せ!』と、
声をかけられたのは貴殿でしょうか?」
「いかにも、それは拙者です。さてはその時、引き退いていた大将は貴殿でしたか。」
それより互いに、その時の甲冑の毛色などを語り合った。
そうして木造は、川村に言った。
「あの時の貴殿の勇気、馬上に槍を取ってただ一人、衆に離れて進まれし有り様、
その天晴なる武者振りに、誠に一騎当千と見えました。
あの時、貴殿と鑓を合わせなかった事は残念に思いましたが、合わせなかった故に、
今対面することが出来ました。」
川村は、ニッコリと笑って、
「仰せのごとく、あの時、鑓を合わせていたら、今対面することは出来なかったでしょう。」
その後、話も済んで川村が退出しようとするとき、
正則は、「しばし待て。」と言いながら、筆を執って、
川村に二千石の墨付を与え、さらに与力20騎を預けた。
これに川村は感涙を押えながら退出した。
木造はさすが岐阜中納言の重臣ほどあって、川村をそれとは言わず昇進させたのだ。
人々はそう語り、皆感じ入った。
川村伝右衛門は福島家が滅びた後、細川越中守に三千石にて抱えられた。
この話は川村伝右衛門の分家である、松平丹後守家臣の川村某が語ったものである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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