天正18年の豊臣秀吉の小田原攻め。
北条家の宿老・大道寺政繁は、上野松井田城を守備し、一月以上にわたり奮戦したが、
前田利家、上杉景勝、真田昌幸らの大軍の総攻撃を受け、降伏した。
降伏後、政繁は秀吉の命により、豊臣軍の道案内を勤めた。
子息を人質に取られていたのだ。
そして小田原城がついに落ち、この戦が終わると、
秀吉は、政繁にこう命じた。
「おまえは我々を案内するなど、主家である北条家に不忠であった。よって切腹せよ。」
おそらく秀吉は、最初から殺すつもりで、政繁を利用するだけしたのであろう。
この処分に対する政繁の反応は、切腹した事実以外、何も残っていない。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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