狩野秀治☆ | げむおた街道をゆく

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上杉家の家臣・狩野新介秀治。
元々は尼子勝久の家臣だったといい、何がどう流れてきたのか、

越中神保氏の家臣・狩野氏の養子となり、謙信に仕えたらしい。
 

御館の乱では、謙信の馬廻り衆として景勝とともに、

春日山籠城組の一人だったらしいのだが、
この時、何をしたのか分からないが景勝に超気に入られる。
 

謙信時代の重臣達や景勝の直臣衆である上田衆すらも差し置いて、

万事取り次ぎを任される執政扱いになった。
 

秀治は、景勝より20歳ばかり年上だったということだが、

清貧で控えめな人となりだったらしく、
なかなか重臣達が言うこと聞かなくて苦労していた青年当主・景勝は、

そんなところが気に入っていたのかもしれない。
 

兼続が直江の跡取り娘お船の入り婿になると上杉家は秀治と兼続の二大執政状態になる。
秀治はしかし、根なし草である自分が景勝様に大層気に入られ重用されている事態を憂い、

嫉妬を呼ぶだろうと考え、
春日山に粗末な庵を結んで質素に暮らした。
 

景勝が秀治には内政も外交も重要な仕事をたくさん任せているので、

秀治がそのような粗末な姿では上杉の面子に関わる、
屋敷を受け取れ、せめて兼続と同禄受け取れと再三命じても固辞し続け、

ボロ小屋に住み続けた。

なお生活環境が悪かったのか、はたまた過労か、

しばらく後に秀治は病死し、景勝は二度と秀治の代わりとなる者を作らなかった。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 上杉家臣団

 

 

 

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