保科正直☆ | げむおた街道をゆく

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保科正直は、武田滅亡後、滝川一益の寄騎となったが、

神流川の戦いで一益に従い北条軍と戦って敗れ、家臣を抱えながら牢人となった。
 

「殿、ここはかつて武田家で同じく馬を並べたよしみをもって、

真田昌幸どのに頼りましょう。」

正直の子・正光は昌幸の娘を娶っていたが、

高遠落城の際、二の丸を守っていた保科家は、
本丸に残した人質を置いて逃げ延びた。

正直は恐る恐る昌幸に頭を下げに行ったが、
謀将は保科家の面々を温かく迎えた。

「時に妻子親兄弟を捨てるなど、武士にはよくあること。恥辱と思われるな。」
「かたじけない。だが、これからどうしたものか…。」
「そうですな…高遠の地、今は取るに足らぬ土豪ばかりとか。

これを制し、伊那郡を切り取られよ。」
「しかし北条家臣となったわが弟・内藤昌月(昌豊養子)も、

高遠を狙っているとの噂がある。」
「なぁに、かまう事はない。逆に昌月どのに頼み…。」

昌幸に策を授けられた正直は、弟・内藤昌月の居城・箕輪城に向かった。
「…という訳で、兵を借りたい。」

正直の頼みに、昌月は冷たく答えた。
「高遠は私が領して良いと、すでに小田原から朱印状をもらっております。

あきらめて下され。
兄である貴殿を、悪いようにはしませぬ。

わが家中で、重臣となるが良いでしょう。」
(実兄であるわしに、何たる言い様…!しかし昌幸どのが…。)

『…と、昌月どのは言うでしょうが、グッとこらえて頭を下げ、兵を借りなされ。』
「…わかった。従うゆえ、高遠を攻める兵を貸してくれ。」
何とか五百人を借り受けた正直は、易々と高遠を手に入れた。

「これでよし。昌幸どの、頼んだぞ…。」

その頃、徳川家康のもとに真田昌幸からの書状が届いていた。
『上田領主・真田昌幸、高遠領主・保科正直と共に徳川にお味方いたす。

ついては、領有を認める朱印状を、それぞれに賜わりたし。』
さっそく酒井忠次を通じて朱印状が発行され、

保科正直はこれをきっかけに伊那半郡を制圧した。

内藤昌月は高遠に居座った正直の非を小田原に訴え、徳川と北条の間に合戦が起こるが、
北条は敗北し、そのまま高遠は保科領となった。

家康は保科家の臣従を喜び、正直の後妻として、
家康の義妹を与えるなど優遇したという。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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