関ヶ原合戦の後、捕縛された石田三成、小西行長、安国寺恵瓊三人の身柄が、
大久保忠隣に預けられた。
しかし、この頃、忠隣は家康の側にあり大変忙しく、
その子息・加賀守忠常(当時二十歳)が、
彼らの管理に当たる事になった。
忠常が、三成達の拘束されている場所に行って見ると、
三人は高手小手に縛られており、
その中でも三成は、当時腹を壊しており、
この苦しさからその場に臥せていたそうだ。
これを見た忠常、自ら暖かい粥を三成の前に持って来て、
「どうぞこれを、一口お召し上がりください。」
と言った。
これに三成、
「おぬし、何者だ?」
「は、これは申し遅れました。
先年の奥州の御検地であなたが関東に御下向された時一度、
お目にかかったことがございます。
大久保忠隣のせがれ、忠常であります。」
三成、忠常をじっと見て。
「ずいぶん前の事だし、全く覚えていない。」
そう正直に答えた。
いかにも三成らしい。
「ところで忠常殿、久しぶりの対面早々何だが、この有様では粥を飲むことも出来んよ。」
と、体中に掛けられた縄を見せた。
そこで忠常、縄を解き手を自由に使えるようにした。
三成はこれを大いに喜び、
「今の芳情忘れぬぞ。」
と礼を言って、小ぶりの茶碗に一杯半ほども粥を飲んだ。
その後、三成達を厳重に縛める事をやめ、首に形ばかり縄をかける形に改めた。
三成は隣室の小西行長を、
「摂州!摂州!」
と大声で呼び、
「家康は果報な男だ。譜代の子供まで良く育っておるわ!」
と、語ったそうである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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