慶長5年8月末、美濃まで進出した東軍の先手は、
徳川家康の軍勢が江戸から出立しないことに苛立ち、
特に福島正則は殊の外立腹、池田輝政と口論となり、
その場に在った本多忠勝と井伊直政がどうにか宥める有様であった。
その翌日、村越茂助が家康の使者として参着した。
福島正則は、茂助に対し、
「家康公はどうして出立されないのか!」
と詰問すると、茂助は、
「ご出立されないわけではありません。
ですがあなた方が敵に対して手出しをなさらないため、
ご出馬が無いのです。手出しさえ有れば、即急に御出馬されるでしょう。」
これを聞いて正則は、扇を広げ、茂助の顔を2,3度仰ぎ、
「尤もな事だ。すぐに敵を攻撃し、それそ注進していただこう!」
そう答えた。
本多忠勝と井伊直政は、正則と輝政が口論をした翌日であったので、
このやり取りに手に汗握り、
茂助の言った事も非常にぶしつけではないかと諸人も思った。
茂助は事前に、忠勝、直政に使いの内容を一言も喋らなかった。
家康がこの大事の使いに茂助を遣わしたのは、
茂助が自分の言った内容を有り体に伝えると、
よく見知っての事であった。
日本国中の心ある武士たちは、この事について有り難き積りであると語り合った。
9月朔日、家康は出馬した。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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