徳川家康が、関東に入部した後、鎌倉八幡宮は神領千石を与えられた。
もともと八千石だったものが、大幅に減らされたことに神主は嘆いて、
家康に訴え出いたが、家康は用いようとはしなかった。
そこで神主は上京し、豊臣秀吉に訴え出たため、
家康は村越茂助直吉を派遣した。
この時、家康は自分が着ていた獺虎の羽織を直吉に与えた。
すみやかに上京した直吉は、与えられた羽織を着て秀吉に会おうとしたが、
その格好はあまりにも失礼だと止められ、
市井で麻の上下をかりて秀吉の前に出た。
まず、社人が、
「この社は草創よりこの方、源家代々の崇敬があり~。」
と、先例を語り始めた。
しかし、直吉は口をあけて興味なさげであったので、
秀吉が、「お前は、この者の話を聞いているのか。」
と問うと、直吉は、
「もう一度お聞かせください。」
と言ったので社人はまた同じことを話した。
直吉は話を二度聞くと、
「なるほど、それは尊いことでございますね。
しかしながら、この直吉を始め家康譜代の者は三河以来、
毎年の戦で今日は討死するか、明日は血をそそぐかと、
朝夕苦辛して、このように僅かな禄を得ております。
しかるに、関東へ移ってまだ間もない時期に、空手にして千石の神領を賜るとは、
家康はあまりにも、うつけな沙汰をしたものだ。…と、私には思われます。」
と言った。
これを聞いて秀吉は大笑いし、
「いかにも直吉の言うことが道理である。
家康もそう思ってお前をよこしたのであろうな。
いずれわしが家康と会って、とりはからうとしよう。」
と言って、そのまま両人を帰したという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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