相馬家に、佐藤為信と言う男がいた。
為信は、義経四天王の佐藤継信、忠信の末裔で、
小斎城代として重用されていたが、
同じく相馬家家臣である桑折左馬助を討ち、
伊達家に寝返った。
実は為信の父・佐藤好信は、磯部城の軍奉行をしていたのだが、
桑折左馬助の讒言で所領を没収され、領地は桑折のものになっていた。
その上、自分の館に狼藉を働かれた。
好信はこの事で憤死している。
これを為信は恨み、伊達氏に小斎城を攻められた際、
援軍に来た桑折左馬助を討ち果たしたのだった。
伊達家に寝返った後も、利己故に寝返ったと思われるのを嫌って、
加増の申し出を拒否している。
その後も対相馬戦で活躍したという。
さて、話は変わるが、日本の兜には頭頂部に天辺の穴と呼ばれる穴が空いている。
元々は結った髪を兜から出す装飾の為の穴だったようだが、
そのような風習が無くなった戦国では新しい様式の兜の出現と共に廃れてきたが、
この穴から八幡神が降りてきて自分を守ってくれる、
兜蒸れを防ぐ等の目的で空けられる物もあった。
このため八幡座、息出しの穴とも呼ばれる。
話は佐藤為信に戻る。
為信は葛西・大崎一揆において佐沼城を落とすべく参戦していた。
城を落とすべく沼地の浅瀬を進行していた為信。
その為信に向かって一発の銃弾が向かってきた。
弾は兜の八幡座を見事射貫き為信は討ち死にした。
神を降ろす為に空けた穴に、降りてきたのは鉛玉だった。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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