蒲生賢秀☆ | げむおた街道をゆく

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本能寺の変のあと、明智光秀が近江国安土城を接収すると、

同国の住人たちは、我も我もと光秀に降参し、

その幕下に属さない者一人もなしという有様であった。
 

その中で、蒲生賢秀・氏郷父子は、

「故・信長公からの御恩を何れの世にか報い奉るべきか、
ただ一合戦して腹を掻っ切り御供せずにはしかず。」

と、居城である日野城に立てこもり、要害を普請し軍勢を集めた。

その数1500余騎という。

これを知った光秀は、蒲生に使いを出し、

『今度、光秀に同心すれば近江半国を与える。』

と伝えたが、蒲生父子は全く同心しなかった。

近江の住人である多賀豊前守、布施忠兵衛たちも既に明智方となっていたが、
何れも蒲生と疎意の無い人々であったので、彼らからも、

「罷り向かって異見を申そう。」

と、自ら日野を訪れ、再三に渡り諫言を行った。

しかし賢秀・氏郷父子は彼らと対面すらせず、

『武士たらん者は恩を知って以て人であると申す。

御辺たちは降参を能きと思って、そのように申されるのか。」

と返答した。

嘲られた両人は口惜しく感じ、馳せ帰ると光秀に申し上げた。
「蒲生親子は以ての外に奇怪なる者にて候。急ぎ御退治有るべし。」
特に布施忠兵衛は進み出て、
「現在、日野城は未だ普請中であり、堀、櫓は生壁の状態ですので、破壊も容易いでしょう。
1日も早く攻め寄せられるべきです。」

と積極的に提言した。
 

これを聞いて光秀も、尤もであると考え、すぐに蒲生攻めの準備を始めようとした。

ところがここで、信長の三男である神戸信孝が大坂より引き返し、

光秀の婿であった織田信澄を討ったという情報が入り、

光秀は近江のことを明智弥平次に任せて、
自らは信孝に対処するため攻め上がった。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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