伊達輝宗・政宗父子が、大内定綱を塩松に攻め、早速、城を手に入れられると、
輝宗公は近日、この大内定綱と姻戚関係にある二本松へ御出馬されるべく、
その周囲の要害を詰め落とした。
この伊達の急激な動きに、
二本松義継は、重臣である二本松四天王の面々に向かって問うた。
「私が小勢を以て大敵と戦った場合、勝負は運に依るだろうか。」
「大勢に一人向かうのは益がありません。
小を以て大に敵するといいますが、今当家の力を以て、
伊達・田村の大敵と対峙するのは、頗る以て難しい事です。」
こう言われ、義継はまた宣った。
「それならば、私は兜を脱いで降人となり、輝宗の元に出仕して兄弟の交わりを成し、
婚姻の義を約して、先ずは事を無為にするように謀ろう。
すると私が帰る時には、輝宗は悦び必ず見送るため座を立つであろう。
その時の輝宗の胸ぐらを無手と取り、縁より引き落として、
九寸五分の脇差を輝宗に指し当てて舘より引き出せば、
伊達家の者達もどうしてこれを阻もうとするだろうか。」
そう言って、天正十三年十月八日に、二本松義継は降人となって伊達輝宗の元に出仕した。
この態度に輝宗は斜め成らず悦び、義継を饗応する事、限りないほどであった。
しばらくして事終わり、
義継は暇乞いをして帰ろうとした所、案の如く輝宗は、御門送りの御礼に立った。
ここで義継は輝宗の体を無手と取って縁の下に引き落とし、
輝宗の口先に脇差を脇差を突きかけ、舘より引き出した。
そして鹿子田和泉守を始めとした一人当千の兵二、三人が輝宗を取り囲んで進んだ。
伊達側は数千の軍勢が充満して、その後に袖を連ねたが、
輝宗を救おうにも方法が無くただその後を追い、
輝宗公に対して逆心が犯せられた事を嘆き悲しんだ。
輝宗からは他に言葉もなく、義継に脇差を突きつけられ、
「申すな申すな!」
と言われており、もし奪い取ろうとすれば輝宗公の御命は無いであろう。
伊達勢は驚周章騒してどうして良いのか進退を失った。
その時、嫡子である政宗は御鷹野に他行していたのだが、
御鷹野場に人二人を走らせ急ぎこの事を知らせ奉ると、政宗は御物具をも帯びず、
取るものもとりあえず御鷹野より直に追いかけ、
早くも平石の内、アハノスはで十里という所で政宗は一行に追いついた。
政宗はこの時とっさに考えた。
『二本松義継が川を渡り二本松に戻ってしまえば、
政宗がどれほど心猛くとも、輝宗公が擒となり、
二本松の城にて戒めを蒙り、捕らえて盾の面に当てられれば、伊達と二本松が戦っても、
伊達が戦に勝つことは出来ない。
だからといって政宗が降参し、父親の命を請うたとしても、
二本松に留め置かれ伊達に帰ることは万に一つも無いだろう。
そして二本松の旗下に成ってしまえば、伊達家の滅亡もその時である。
不孝には三つ有るという。
その中でも跡継ぎの無い事が最も大きな不孝であるとされている。
そういう事であるなら、父一人を捨て、子々孫々まで伊達の御家一族繁盛させるのは、
却って一家への忠孝である!』
そう思し召したのであろう、正宗公は馬に乗り掛かられると、
「親共に討ち取れや者共!」
と下知した。
伊達衆はこの下知に一斉に競り掛かり、義継主従を真ん中に取り囲み、逃さぬ構えをとった。
この時、二本松義継の運命は既に尽きていたのだろう。
実は義継は予め迎えの合図を定めており、
二本松の兵たちは、この合図によって大勢が出てきていたのであるが、
どういう間違いが有ったのか、沼によって道が隔てられた別の場所に出てしまい、
この場に一人も間に合わなかったのである。
運の末とはこういう事なのであろう。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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