武田崩れにより、天目山に逃れようとした武田勝頼一行は、
土民に遮られそれも叶わず、
天目山麓の田野に陣をはり、最後の別れの宴を催すことにした。
宴もたけなわとなった頃、土屋昌恒は、勝頼に向かい、
「こんな野原で最後の宴をせねばならなくなったことを思うと、
心は乱れ、正気を失い、理性を失いそうなほど辛いことです。
このようになってしまったのが、どうしてかと申せば、
家臣達が心変わりしたためですので、
そうであるなら御屋形様は、
この私も裏切るのではないかとご警戒なさってはいやしないか、
ずっと案じておりました。
そこで、そのようなことは決してない証を、御目にかけましょう。」
と言って、5歳になる我が子に向かい、
「お前は、まだ幼少なので、大人とともに歩むのは難しい。
だから先に行って、六道へ続くあの世の岐路で、
御屋形様が来るのをお待ち申し上げよ。
私も御屋形様とともに行く。
さあ、西を向いて手を合わせ、念仏を唱えよ。」
と言った。
それに対し昌恒の子は、
「私は父上の子ですので、言いつけに従いそのようにいたします。」
と答え、楓のような手を合わせ念仏を三回唱えた。
昌恒は腰の刀を引き抜いて我が子の胸元に押し当て、刺し殺した。
勝頼は、この有様をご覧になり、
「なんということをするのだ。最後の言葉も、他にかけようがあっただろうに。」
とおっしゃって涙を流し、供の者達も涙で小手の鎖を濡らしたという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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