長坂光堅☆ | げむおた街道をゆく

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信長の野望、司馬遼太郎、大河ドラマが大好きです。なんちゃってガンダムヲタでもあります。どうぞよろしく。

 

長篠の合戦の時、武田勝頼は、

「是非とも一戦を遂げ、討ち死にすべしと思い定めている。」

と語った。
 

これに対して、

武田家重臣の馬場美濃守、内藤修理、山縣三郎兵衛、武田左衛門大夫、同左馬頭は、

申し上げた。

「敵軍は四万、我軍は一万です。

この度は引き上げ、信長の帰陣した上で、来秋出張をし、所々残らず放火し、

その上苅田を申し付けられれば、三河は亡国と成りますから、

一両年中に存分と成るでしょう。」

という旨をたって諫言したが、勝頼は承引せず、殊に長坂長閑斎が、

「合戦を遂げることこそ尤もです。」

と、言上したため、いよいよその儀に相定まったのだという。

この長閑斎は工夫に長けた人であったために、信玄も大細を談合した者であり、

殊に弁舌明らかであった。
 

この時、六十三歳であったという。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 武田家臣団

 

 

 

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