徳川家康が、ある時、語ったことである。
「今川義元は、臨済寺の雪斎和尚(太原雪斎)と相談して、
領内の統治などを行なっていた。
この頃は、本当に国もよく治まっていた。
しかし雪斎は累代の家老というわけではなかったので、
彼が遷化されたあとは、その政治を受け継ぐものが無く、
それ以前の状況に戻ってしまった。
それでも義元が生きているうちは、今川家の武備が衰えることはなかったが、
義元が討死にした後は、諸人に今川家に対する疑念が起こり、
また氏真の代になってからは風流婆娑羅のみにて日を送り、
終に家国を失ってしまった。
諸人に疑念を持たせた、というのは、主将の依怙から起こったものだった。」
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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