永禄3年、今川義元が、桶狭間で織田信長に討たれる。
寿桂尼は、孫・氏真と共に、今川氏の力を回復するため、
日夜奮闘しなくてはならなくなった。
永禄11年3月、寿桂尼は没したが、死に臨んで、
「墓を駿府今川館の艮に建てよ。」
と、遺言したと言われている。
艮は、古くから鬼門として知られている。
死後も今川氏を守り抜こうとしたのであろう。
こうして、駿府今川館の艮の方角に竜雲寺が建てられた。
しかし寿桂尼の願いもむなしく、同年12月、武田信玄が駿府に侵攻。
今川氏真は駿府を守ることが出来ず、遠江の懸川へ落ちて行くことになったのである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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