中々に 世をも人をも 恨むまじ☆ | げむおた街道をゆく

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氏康御病気の頃より、今に至って、譜代重恩の輩は申すに及ばず、

関八州御旗下の大名は群をなした。
 

その他に甲州、越後、佐竹、方々の使者は往来して止まず。
御中陰の日数がようやく過ぎ、氏政(北条氏政)は、

伊豆の三島へ鷹狩りに御出になったところへ、甲州より使者が来たる。

氏真(今川氏真)と氏政は親しき間柄で小田原に居住しており、

そのうえ譜代の侍はいまだに多く、
また家康公も内々氏真に御芳志があった。

 

そのため信玄(武田信玄)は行末を難しく思われたのだろうか、
氏真を討ち申したいと密かに氏政へ人を遣わしたのである。
 

氏政はいかに思し召されたのか、その旨を合点なさり、

すでに甲州より忍んで討手の者どもが来ると聞こえた。

悪事千里を走る習い、やがてその事を聞き付けなさり、

氏真の御前(早川殿)は氏政の御姉なので、
この上なく御恨みになり、氏真その他下々に至るまで、

「氏政は人倫に非ず。」

と立腹限りなし。
 

ここにいてはならないと氏真は小田原を引き払い、

家康公を御頼みになって妻子を引き連れて浜松へ落ちなさった。
 

また、御心の内はさぞかしと思いやられる一首を詠んだ。

「中々に 世をも人をも 恨むまじ 時にあはぬを 身の科にして」

家康公は先年の御言葉もあり、屋形を作って氏真を据え、

御懇情浅からず御労りを施しなさった。
これぞまことに仁政たるべし。

そもそも今川の家は代々小田原と縁者であり、

早雲氏綱二代重恩を受け、特に氏真は御兄弟の契りあり。
何によって信玄に語らわれたのか今川殿を追い出し、

このような情け無き振る舞いは謂れなし。
まことに頼む木の本に雨も溜まらぬ風情かな。

中陰の折で誰か言う人もなし。
末の世まで嘲弄を受けるだろう、

当家の運は末になったと小田原の諸臣は悲しんだ。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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ごきげんよう!