父・義元が死んだ後、今川氏真は徳川家康と三河を巡って争っていたのだが、
ちょうどその時、西三河で一向一揆が起こり、
松平家は家臣が二手に分かれて争う事態になっていた。
それを聞いた氏真、それに乗じて松平家を滅ぼせ…なかった。
駿河と三河の間の国、遠江で家臣の反乱が相次いだのだ。
まず井伊谷の井伊直親が松平家に通じた疑いで朝比奈泰朝に殺されたのを初めとして、
見附端城の堀越氏延、二股城の松井氏、犬居城の天野氏、引馬城の飯尾連竜が、
相次いで反乱を起こしたのだ。
後に遠州忩劇とも呼ばれるこの事件は、
永禄五年(1562)から永禄八年まで続き、
最終的に飯尾連竜が再度家康に通じたとして、
駿府城で誅殺されるまで続いたのである。
この乱によって今川家は西三河に侵攻するどころか、
東三河を家康に完全に掌握され
残った遠江の諸将からも反感を買い、
国力の弱体化を内外に示すこととなったのである。
その後、氏真は領国の立て直しを図るべく検地や楽市などを実施するのであるが、
時すでに遅し、信玄に完全に目をつけられており、
武田・徳川連合軍に攻められた挙げ句、
遠州掛川城から小田原へと落ち延びるのは、そのわずか3年後のことである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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