天正十三年(1585)正月。
関東の名門千葉氏第29代当主・千葉邦胤の、
居城・佐倉城では、新年の祝賀が行われていた。
旗本の将士達が登城し、例年の如くの儀式、そして書院においての饗応。
この饗応の配膳を行っている者の中に、邦胤の近習で、
当時18歳の鍬田万五郎と言う者が居た。
この万五郎が配膳の最中、大きな屁をした。
しかも、二発。
大切な正月の饗応の最中、なんたることか!
千葉邦胤は大いに怒り、目を怒らせ口を極めて叱責した。
ところがである、これに万五郎がたてついた。
「出物腫れ物所かまわずと言うではないですか!
このくらいの事、普段からありうる失敗なのに、
こんな晴れの場で、
そんなに叱り付けなくても、いいじゃないですか!」
この憚るところを知らぬ口答えに、邦胤は激怒した。
彼は万五郎を蹴り倒すと短刀に手をかける。
そこを傍の者達が必死に止めて、
万五郎を引き下がらせた。
その上で邦胤をどうにか言い宥めて、万五郎は、
椎木主水正に召し預け、と言う処分となった。
そうして左右の者達は、
「万五郎は殿から見れば、もとより吹けば飛ぶような小物ではありませんか。
そう言うものが逆上して妙な事を言っても、
そんなことは気にするほどの物では無いでしょう。
どうか寛大なお心で、あいつを許しては頂けないでしょうか?」
そう詫び言を言うので、邦胤はやがて万五郎の謹慎を免じ出勤を許した。
確かに邦胤は許した。
が、問題が一つ。
鍬田万五郎は、これを許していなかったと言うことである。
万五郎は最初に蹴り飛ばされた無念を忘れなかった。
「必ず復讐してやる!」
四六時中、邦胤の隙をうかがっていた。
そしてその時は来た。
5月1日、深夜。
万五郎は、邦胤の寝所に密かに忍び込むと、ふた刺しして逃げ出した!
「憎き小倅の仕業だ!」
邦胤の叫びを聞いた佐倉城の宿直の者達が寝所に走り入ると、
邦胤の体は鮮血に染まっていた。
「鍬田の奴を逃さず、討ち取れ!」
そう叫ぶと、そのまま事切れた。
鍬田の方は城の物陰に隠れ、夜が明けてから堀を乗り越えて菊の間のある台地まで逃げたが、
その先に追っ手の人数が充満していることに逃走をあきらめ、林の茂みの中に入り、
切腹して果てた、とのことである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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