会津蘆名家の金上盛備と言う者が、使者として秀吉の下に派遣され、
他の西国の使者とともに目通りした事があった。
彼らが退出した後、秀吉の左右の者たちが言うには、
「西国の使者は実に礼にかなっていたが、会津の使者の金上と言うのは、
東国の者だからであろうか、無骨だ。」
そんな風に評した。
これを聞いた秀吉は、
「いや、そう言うことではなかろう。
西国では使者に身分の低いものを遣わすので、自然、
腰も低いのだが、会津の使者はおそらく家が高位の者なので、
人前でかがみ慣れていないだけで、
あれは無作法と言うわけではあるまいよ。」
そこで調べてみれば、実際に金上は蘆名の一族で、城も持つ高禄の者で、
さらに正式な官位まで持つ、葦名家の中でも非常に身分の高い者であったそうだ。
人々は秀吉の眼力に、大変に恐れ入ったと言う事である。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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