寸刻思案すると、恐れ入りながら☆ | げむおた街道をゆく

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会津蘆名の臣、金上遠江守盛備は、

「蘆名の執権」

と称され、家中の政事、軍事を取り仕切った重臣であったが、
弓馬の道だけでなく会津出身の僧・岌州を通じて、
細川幽斎と和歌のやりとりをする等、
一流の教養人としても知られていた。

盛備は、生涯三度に渡り、主の名代として上洛しているが、
今回の逸話は天正十六(1588)年、三度目の上洛の時の事。
 

盛備が、関白秀吉に、お目通りした時の事。

「その方、鄙にも稀な風雅の人と聞いているが。どうだ、この句に上句を接いでみよ。」
”女も鎧を 着るとこそ聞け”
と下の句を詠んだ。

 

 

盛備は、寸刻思案すると、恐れ入りながら、
”姫百合か とも草摺りに 花散りて”
と詠み上げた。
 

「女も鎧を~」というのは、源義経の郎党・佐藤兄弟が戦死した後、
嘆き暮らしていたその母を慰めるため、兄弟の妻が二人の形見の甲冑を身に着け、

その雄姿を演じてみせたという故事に取材している。
盛備の郷里である陸奥国の英雄二人の逸話を秀吉は題材に取ったわけである。

草摺りは鎧の腰周りから膝上にかけてを守る、スカート状の部分であり、
野をゆき、足に摺った姫百合の花が散る様子と、

二人の姫君がともに草摺りを身に着けて舞う様子を、かけたわけである。
 

このみごとな返歌に、秀吉は天晴であると賞賛し、

盛備に、帰国時の人夫伝馬の便宜はかる朱印状を下賜したという。
 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 蘆名の執権、金上盛備

 

 

 

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