石州津和野にて☆ | げむおた街道をゆく

げむおた街道をゆく

信長の野望、司馬遼太郎、大河ドラマが大好きです。なんちゃってガンダムヲタでもあります。どうぞよろしく。

 

かつて横手を領した小野寺義道は、関ヶ原の戦い後に石州津和野へ流された。
 

恩人・坂崎直盛の供養が有名だが、その後も彼は生き続けている。
彼はたびたび、佐竹氏に仕官した旧臣に書状を送り、羽後の近況を尋ねていた。

そのうちの一通、1645年の書状はこんな内容だった。
「この短冊を、形見として送る。
自慢するようだが、私の書いた短冊はあちこちから所望されるのだ。

嘘ではない。
頼まれれば否とも言えないので、流人である恥も構わず書き与えている。
出雲や長門、安芸などからも地紙を届けてくるから、もう百枚は書いただろう。
これは余人には言わないでくれ。
六郷のやつは運がいいな。
由利衆の面々はどうしているか、まるで知らないから、詳しく教えてほしい。
私に仕えていた者などは、大抵死んでしまっただろうな。
誰が生きているのか、詳しいことを聞きたい。」

この書状の日付から10日余後、
恐らくは最期まで故郷を思いながら、義道は80歳で死去した。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

こちらもよろしく

→ 局面での選択を誤る、小野寺義道

 

 

 

ごきげんよう!