江州金が森の城を、信長公が攻められたとき、
村井豊後(長頼)は夢で、
「時分もいいから必ず左の道に進みなさい。」
と山伏によって枕元で確かにお告げがあった。
目覚めると、日頃から愛宕山を信仰していたからだとありがたく思い、
水垢離をして具足を着て利家の陣所に向かったが、
いまだ「鳥前」(鶏が鳴く前=夜明け前)のようで、
(利家は)「もうちょっと待て。」
ということだった。
そこで小屋に帰って「いねぶり」(居眠り)をしていると、
またお告げで「左につけ」とあった。
さてまた、信長公の本陣で一番貝が吹かれ、前田勢は城に寄せるとき、
左右に道があったがみな右を進んだ。
豊後(が属した部隊も)右を進んだが、
「いやいやくっきりと、愛宕山のお告げがあった。」
と一人道を引き返し、左の道を進んで堀の「柴折」(逆茂木)に刀をかけた。
ふと見ると四、五人の影があり、「敵か味方か」と寄っていくと、
「馬にも乗らずにここに来たのは誰だ。
私は柴田修理(勝家)の甥の佐久間玄蕃(盛政)である。」
と名乗った。
そのとき豊後が、
「前田家中の村井又兵衛(のちの豊後守)である。」
と言うと、玄蕃は、
「又左衛門(利家)家中で名前は内々聞いている。合戦場で初めて会えてとても喜ばしい。
夜明けには逆茂木を切ろう。」
と申し合わせ、そのうちにあとから味方が寄せてきたそのとき、
豊後と玄蕃は声を掛け合い、逆茂木を切って槍を取って乗り込み、すぐに首を取った。
利家は信長本陣にいて、その首を持っていったところ信長公のお目にかけられた。
信長公はまた又兵衛が手柄を立てたと、
近くにあった吊るし柿5つを手ずから与えたほか、
いつもの働きの証であるとして南蛮笠を与えた。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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