快心老人☆ | げむおた街道をゆく

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快心老人は、見かけこそ愚鈍に見えましたが、

かつては実直さで勇猛さを評された武将でした。

 

主君と隣国の大将が戦した際、要の城を任され、
わずか五百の手勢で一万五千の大軍から城を死守しました。

 

援軍に駆けつけた主君は、その時つけていた甲冑を下されました。

その武功は老人にとって、今でも誇りです。

ある日、老人のもとを三男が訪れました。

三男は言います。

もはや藩にはいられないと。

 

三男は家督を継いだ若殿の信頼厚く、政敵であった先代の右腕の追放に成功して、

藩の実権を握りました。
 

しかし、先年の大坂御陣で失態を犯して面目を失い、

先日の若殿の鷹狩りにも随行を許されませんでした。

さらに、追放した政敵が復帰し、居場所を失ったのでした。

暇乞いを若殿があっさり認めると、さらに長男と次男、三男と、

「大の知音」という新参の本多までが藩を立ち退くと憤ります。

 

快心老人は叱りました。

「人として子を愛さぬ者はいない。

しかし、一人の子や兄弟、友のために、

家臣としての節を曲げるべきではない。

しかもお前たちは万石もの大封をいただいておるではないか。」

と。

この藩は家臣同士の権力争いが深刻で、

快心老人もそのことを気にかけていました。

「三男はすでに君命もあり、速やかに立ち退きなさい。

その他の者は残りなさい。あとのことはわしに任せ、

安心せよ。」

と説きました。

長男と次男、本多の三人は出奔を思いとどまりました。

この三人の家系は藩の家老を出す「八家」となります。

快心老人が、家中の深刻な分裂を防いだのです。

快心老人はそれから九年後、静かに亡くなりました。

かつては奥村助右衛門永福と名乗り、

主君・前田利家にとっての天下分け目・末森合戦で奮戦した武将でした。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

こちらもよろしく

→ 末森城の戦い、奥村永福

 

 

 

ごきげんよう!