天文の乱に至る☆ | げむおた街道をゆく

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天文11年、伊達晴宗は、その父・稙宗を西山城に幽閉した。

晴宗はそれ以前の稙宗の行動に懲り、
彼を幽閉した座敷の廻りを厚い板で釘付けにし、

食物を出す口ひとつだけを開け、

番の兵士により厳しく監視させた。

この状況に、懸田義宗などの一族衆は、晴宗に対し申し上げた。
「稙宗様との仲については、去年の遠征の時に晴宗様に御異見申し上げ、

無事に取扱になったはずです。
であるのに、突然その約束を変じてこのような不義を成すとは、

先の取扱に協力した相馬などへの聞こえも宜しからずと存じます。」

そう言葉を尽くして異見したものの、晴宗は屈せず、

「こうなった以上、もはや変えられない。」

と拒絶した。

一族衆は話し合い、懸田俊宗・義宗父子より相馬顕胤に、

晴宗を説得してもらえるよう使者を遣わした。

相馬顕胤は自身で出馬し、

14,5騎、上下70名ほどで晴宗の元に出向き、稙宗の幽閉を解くよう、
相馬方の老臣たちと伊達家の老臣たちとの間で議論を重ねたが、

顕胤の訴えを晴宗は受け付けず、
晴宗からは顕胤にこう言った。
「貴方から何度承っても、この事について従うことは出来ない。

貴方が長々とここに滞在されるのも、無駄なことであるから、

早々に帰館されるべきだ。」

顕胤はこう返答した。
「御心底が変わるまで、この地に滞在し訴訟申す他ありません。」

しかし後には、伊達家の家臣たちすら、

顕胤からの遣いを、受け付けることすら拒否するように成り、
申し出自体が不可能になった。
 

これに顕胤は老臣たちに、
「晴宗は大身であることに奢り、去年の約を変ずるのみならず、

父兄の礼を致しても取り合わない有様である。

この上は晴宗と運の勝負をするしかない。

相馬の人数をあつめよ。」

そう下知したのである。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 天分の乱、伊達晴宗

 

 

 

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