陸奥の岩城重隆に、久保姫という奥州一の美少女がいた。
史書では「久保姫」だが、『奥羽永慶軍記』は、
「笑窪御前」と記されていて、
「みどりごの頃から色白で美しく、靨(えくぼ)があったので、笑窪御前とよんでいた。」
とまで大絶賛(尤もこれは江戸時代の書物だが)。
そのえくぼ姫だが、父・重隆の政略で、白河の結城晴綱に嫁ぐことになった。
しかし、その直後、伊達稙宗から、
「岩城の久保姫を、わが息子・晴宗の嫁に貰い受けたい。」
という申し入れがあったが、
重隆は、「結城との約束があるから。」と拒否した。
これに激怒したのが稙宗の息子晴宗。
予てより、えくぼ姫の美貌を知って惚れ込んでいた彼は、
その後、何としても手に入れようと企んだ。
そして輿入れの日。
白河に行く、えくぼ姫の一列が岩城と白河の中間地点滑井に差し掛かったその時、
突然行列の前に山賊が現れた。
しかし山賊にしては身なりがいい。
そしてその先頭には…。
晴宗、「はっはっはー! 久保姫は俺が貰い受ける!」
なんとこの伊達の御曹司、自ら「軍勢」を牽き連れ花嫁行列を襲撃したのだ。
護衛の兵は蹴散らかされ、えくぼ姫の輿もつき従っていた侍女達もろとも拿捕。
輿は向きを変えて伊達領へ向かった。
これに驚いたのが花嫁を待ってた白河の結城家。
急変を聞いてあわてて軍勢を整えたが、
嫁取りかと思いきや、花嫁を強奪されたというので、
酒宴の準備を急遽、合戦の仕度に切り替え、慌てて馬に鞍も置かずに駆け出したり、
具足を半分つけただけで走り出す者もいた。
晴綱、「追いつけー! 何としても久保姫を取り返せー!」
その結城方の猛追で、えくぼ姫の輿を運ぶ伊達勢に追いついたが、
なにせ十里ばかりの山坂道を疾駆してきたために、
迎え撃つ伊達勢の前に敗退してしまった。
晴宗、「思い知ったか晴綱め!」
その後、強引に正室にした晴宗。
当然岩城家はカンカンになるが、相手は急成長中の伊達家、
結局、
「最初に生まれた男の子を、岩城の跡継ぎに。」
ということで終結となった。
こんな経緯で正室にされたのだからさぞかし仲が悪い…と思ったら案外仲が良く、
岳父の重隆とも仲直りして、天文の乱の際には援助を受けている。
晴宗は記録上側室がいない珍しいタイプであり、尚且つ子供の数が六男五女。
よほどえくぼ姫を気に入っていたのだろう。
一方、「元」婚約者の結城晴綱は、佐竹・那須と連戦。
次第に勢力を失い、挙句に失明する。
晩年は家臣の小峰義親に実権を奪われてしまった。
えくぼ姫は、晴宗の死後出家し栽松院と名乗り、宝積寺を建立し夫を供養した。
文禄三年(1594)六月九日、孫の政宗を頼って白石で没した。
遺言によって宝積寺に葬られた。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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