猿の絵馬☆ | げむおた街道をゆく

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最上義俊は、生後を江戸屋敷で暮らしたが、父・家親の急死により、

山形の遺領を継ぐ事となった。

十とわずかばかりの年端も行かぬ新君主に、

戦国の世を生き抜いた老臣らは、まるで言う事を聞かぬ暴れ馬にも等しかった。
 

亡き祖父・義光と、父・家親の影響は余りにも幼少の家信には大きな壁となって、

到る所で重圧となった。

義俊は、平生、遊女傾城に戯れた。

殿とは言え、尻の青いガキが酒や女にうつつを抜かし、

寺社の再興はするが、政事には不安が多過ぎる、と感じた生え抜きの重臣らは、

義俊を廃し、義光の四男の山野辺光茂(義忠)を、

最上家の当主として認めてもらいたいと幕府に願い出る行動に出た。

最上義俊は、日枝神社に納める絵馬を描きながら、近習に悩みを打ち明けた。

「わしは絵は好きだが、他の倣いには向かない様だ。

天は何故にわしを最上家の世継ぎに生んだのだろうな。

まるで芸を仕込まれる猿じゃ。」
 

鳥越久兵衛、

「殿はまだ若うござる。

松根光広さま等のご助力を仰ぎ、ゆっくりでも確実に、政道を修めて行きましょうぞ。」

絵馬奉納の二年後に、

「家内騒動をまとめられぬ者に、奥羽の抑えの山形を領する資分なし。」

として、最上義俊は改易された。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 最上騒動、最上義俊

 

 

 

ごきげんよう!