正木時茂の「片手綱」☆ | げむおた街道をゆく

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安房の国・里見義弘の家臣に、正木時茂と言う、剛勇無双と呼ばれた侍が居た。

時茂が12歳ほどの時である。

乗馬の訓練を受けた時、彼は手綱を片手で持って乗る事を好んだ。

これに馬の師匠は怒りだし、

「片手綱とは馬をよくよく乗り覚え、巧者と呼ばれてからはじめてやる様な乗り方です。
あなたは未だ、初歩の訓練すら終わっていないのに、

そのような乗り方をすれば、それは馬上の姿勢も悪くなります。

とにかく先ずは両手できちんと手綱を取って乗りなさい!」

それを聞いた時茂少年。
「わたしは将来、一軍を任されるほどの侍大将となることを目指しています。
大将であれば、馬から下りて敵に向かっていき、槍をあわす機会はほとんどありません。
大将として馬上において下知をし、また敵と戦うためには、

片手綱の達者になっておくべきではないでしょうか?」

そう言って、ついに師匠の言う事を聞くことは無かった。

さて、時は流れ、里見義弘と北条氏康の戦った、鵠台の合戦が起こる。
この合戦において里見は敗北したが、正木時茂はしんがりの軍の大将として、
北条方の名のあるものを、片手綱で馬上より21人斬りおとし、

その猛威をみせつけ、静かに撤退した。

正木時茂は大膳亮を称していた。

この時両軍の侍大将に、大膳と名乗るものが三人居た。
そこでこの頃の歌に、

『依田の大膳、銭大膳。 矢田の大膳、逃げ大膳。 正木大膳、槍大膳。』

と、歌われたそうだ。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 房相一和、里見義弘

 

 

 

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