里見義堯公が、御法体となられるにつき、御一門や御家老中が申し上げたことには、
「昔から大将が法体となることは色々とありますが、大方は不吉でした。
平清盛や北条高時のように侍の行儀を苦しく思って法体となり、
悪行をなす者もいました。
また常人では大将の威勢がないので、
法体となる者もおりました。
主君はどのように思し召されますか。」
義堯公は、これを聞こし召すと、
「私が義豊を討ったのは父の仇である故で、是非なく討ったものである。
それなのに私は嫡子の方を殺して、
自分が大将と誇ることを喜ばぬのだ。
故に私は法体となるべし。
しかしながら、両国を他人に取られることは、なおもって不孝である。
今より以後は、義弘を大将として、各々は忠を励まし給われ。」
と涙を流して宣った。
このため皆々これを感動し、涙を流して御前を罷り立った。
その後の合戦では、
義堯公は後見のために出陣されるといえども、大将は義弘公と御定めになったのである。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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