武州忍の領主・成田長泰の家臣に、手島美作と言う者がいた。
この手島、永禄3年(1560)上杉輝虎の小田原攻めの際、
人質として謙信に出された長泰の幼い二男に付けられ、
厩橋城にいたのだが、成田長泰はご存知のように、この小田原攻めの最中、
上杉陣営から離脱し忍に帰った。
俗説では鶴岡八幡宮における輝虎の関東管領への任官の儀式で、
輝虎から打擲されたためだという。
さて、明日はこの輝虎が厩橋に帰城すると言う夜、この城の宿直のものが手島を、
密かに物影へと呼んだ。
「手島殿、あなたの御主君長泰様が別心をいだき、忍に帰られたことご存知か?
明日輝虎様が帰城されると、あなたも人質ともども殺されることになっているそうだ。」
手島、これに大いに驚いた。
主君・長泰からは、何の連絡も来てはいないのだ。
なんたることかと愕然としていると、宿直の男、
「…ところであなたは、国に帰れば五千貫の大身だと聞き及びます。
どうでしょう、私に三十貫の知行をいただければ、
あなたをここから脱出させ命を助けますが…?」
「そんなもの容易いことだ!」
すぐに約束状を書き与えた。
そこで宿直の男は小舟を用意し、手島を人夫の姿にさせて、
城を出ようとした。
この時、手島は、「若君も連れて行きたい。」と言ったが、
「子供をつれていくのは無理ですよ。だいたい父親である長泰でさえ捨てたんですよ?
他人である我々が気に掛ける必要があるでしょうか。是非に及びません。」
と、若君がまだ寝入っている間に、城を出た。
翌朝、この二男は目を覚ましてから、自分が殺されると言うことを知った。
慌てて手島のもとに駆けつけたが、そこは既にもぬけの殻であった。
そうしているうちに二男を探しに来た追っ手が現れ、
これから逃げようとし、最後には川に飛び込んで、そのまま死んだ、と言う。
手島美作は無事脱出に成功したが、長泰に対し、
「今まで一度も不忠の事は無かったのに、
棄て殺しにしようとしたのはあまりに酷い。」
とこれを恨みとし、
後、長泰の嫡男・氏長と共に、長泰の追放に働いた、との事である。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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