天魔が魅入っての暴挙☆ | げむおた街道をゆく

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下野国栃木の城主である佐野小太郎宗綱は、

血気盛んな荒武者で、はじめは越後の幕下であったが、
上杉謙信が死んでからは佐竹義重の一味となり、

小田原の北条氏を仇敵としていた。

この佐野と長尾顕長の足利とは、土地が入り組んでいて、

年来その境界で争いが絶えなかった。
 

それはついに両地頭の矛盾と成り、長尾顕長は永禄の頃は館林に在城し、

足利の岩井山城を白石豊前守、渕名上野介に守らせていたのだが、

若林郷、猿田の川端で両家は争い、この時は佐野方が切り勝ち、
野田、小曽根を越えて館林の近辺まで押し入った。

 

しかし金山の由良氏が長尾方に立って援軍を出したため、
佐野方は退いた。

その後も佐野方は抱えの砦に浅羽右近将監資岑を入れ置き、

不意に足利を襲い、足黒、西川あたりでの初田合戦でも、

佐野宗綱自身が乗り出して足利方と戦い首まで取った。

その復讐として足利方も、
須花、猿崎の両城にあった小野兵部少輔・同長門守兄弟を襲撃し、

これを殺し城を奪った。
 

宗綱はこの事を日夜、口惜しく思い、土民田夫をそそのかして、

足利領の名草周辺の田畑を踏み荒らさせ、
麻畑を蹂躙し、放火狼藉を仕掛けた、

そしてその年(天正十二年)の十二月、

宗綱は重臣である、大貫隼人正、富士源太を呼んで言った。
「明元旦に旗本の人数を率いて、足利表へ出陣し、敵の油断を突いて勝利を得ん!」
ただし本道の寺岡通りを通れば目立ち、金山や館林より援軍が後詰に来られては困る。

とにかく名草に出て、
藤阪の詰め所を踏み荒らして、須花、猿崎の両城を取り返し、

あわよくば彦間、岩手山まで押しかける。
そのため上役たちに触れを回し、急ぎ人数を集めるよう命じた。

そしてもし金山、館林より後詰めが出た場合は、直ぐに引き上げるとも語った。

しかしこれを聞いた大貫、富士たちは、
「敵の不意をつくというのは兵法として最大の策ではありますが、

除夜より元旦にかけて敵を襲うというのは、
楚の項羽であっても好まれなかった事です。

せめて正月三が日の、年始めの祝事が済んでからになされてはいかがでしょうか。」

と諌めた。

 

だが宗綱は逸りたち一向に聞かず、夜陰に及んで陣触れをした。

明けて天正十三年元旦、雪中であり、また夜中のにわかの陣触れのため、

旗本の集まりはひじょうに悪かった。
腹に据えかねた宗綱は馬廻りのわずかに集まった旗本のみを引き連れ、

石塚に向かって駆け出した。
 

赤見内蔵助、富士、大貫と言った重臣たちが、

馬の轡に取りすがって止めるのを振り切っての出馬であった。
 

夜前よりの深い雪を蹴り、元旦の眠りを覚ます出馬であったが、

夜明けには遠く敵の番所の早鐘が聞こえ、
金山、館林の後詰めがあり、危ういとも思われた。

しかし佐野宗綱はすべてを運に任せて、一散に須山城を奪回しに向かった。

ここは先の城主・小野兵部少輔が追い出された後、

足利方で彦間の小曽根筑前守が入り守っていたが、

この思いもよらぬ朝駆けに大混乱と成り、
太刀を取る暇も無い所に佐野方が無二無三に攻め入り当たるを幸いと撫で斬りにし、

簡単に乗っ取ることが出来た。

 

小曽根は搦手より逃亡した。

宗綱は敵に隙を与えず、続けて藤阪、彦間の砦も落とそうと、

平地であろうが坂であろうがが構わず
「者共つづけ!」

と敗兵を追い、藤阪山の北まで来た時、運が尽きたということであろうか、

どこからか飛んできた流れ弾が錣(兜で左右後部の首筋を覆う部分)を打ち抜き、

馬よりどうと落ちて気を失った。
 

この時、宗綱には栗田という下人が一人ついていただけであった。

栗田は気を失った主人を半町ほどもひきずり自陣へ戻ろうとしたが、

敵の若侍が一人、逃さじと追ってきたため、そこに主人を打捨てて、
味方に注進するため駆け戻った。

この時、宗綱は息を吹き返した。

田の畦に腰を掛けて前後をきっと見渡すと、続く味方は一人もなく、
敵と想われる若侍が一人駆け寄ってきている。

 

宗綱はもとより剛の者で、心は猛っていたものの、
銃撃と落馬の負傷で心身の衰えいかんともしがたく、

雑兵の手にかかるより腹を切って果てようとしたが、
もはや手にその力もない。

ただ前に立った敵をにらみつけるだけが精一杯であった。

宗綱を見た若侍は、その鎧兜から只者ではないと思い、
「甲冑の体、ただびとにあらず、佐野の家中にても大将分の手負いと見たり、

ただ徒に打ち取られるより、その鎧兜を渡されよ。」

と言うと、宗綱は苦しい息の下より、
「物の具は言うに及ばず、この首そなたに取らすべし。

さりながらただ闇雲に敵に渡さば黄泉の旅路の触りにもならん。

そなたの苗字を聞いた上で腹掻っ切ろう。」
「それがしは彦間の士、豊島七左衛門と申す。甲冑をさえ渡さば命は助け申す。」
「なにを小癪な。かかる仕儀に及び一命を継ぎて何をかせん。介錯を頼む。」
そう問答しているうちにも、足利方の者達が集まってきた。
「早々に打て!」

との言葉に、豊島七左衛門その頸を掻き落とし、甲冑太刀まで分捕って退去した。

そのころ佐野の旗本達は主人に置いていかれ、行方さえ解らず探していた所に、

栗田が馳せ戻り一部始終を述べた。

家人達は大いに力を落とし、また呆れて言葉もなかった。
富士源太郎は涙を抑えて、
「この上は彦間の城中に御首があるだろう。

これより討ち入って御首を取り戻すか討ち死にするか、
二つに一つである。」

と立ち上がった。

 

しかしこれに赤見内蔵助は、
「その儀に勿論であるが、心を鎮めて考えて見るに、

今回のことは宗綱公に天魔が魅入っての暴挙であった。
このうえ今我々が切り込んで犬死すれば、府君の無法をさらに上塗りするだけで、

敵にとっては倍に倍する利益となり、

味方は未来永劫遺恨を晴らすことが出来なくなるであろう。
ここは一旦栃木へ引き返し、係累の方々より城主を取り立てて後、

この仇を報いるのが得策と考える。
皆々はどう思われるか。」

そう言って一座を見回した所、富士、大貫らもこれに同心した。

そこで諸勢をまとめ、涙ながらに栃木へ引き返した。

実に無念極まる有様であった。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 自身の武勇を過信す、佐野宗綱

 

 

 

ごきげんよう!