天正16年8月、北条氏政の弟・氏規は、
兄と甥の代理として上洛、聚楽第で秀吉に謁見した。
聚楽第は秀吉にとって天皇や公家と謁見する場所であり、
本来、衣冠・束帯をしつらえ参じなければならないが、
いまだ秀吉に臣従していない北条家の人間である氏規は官位を持たず、
よってそれらをしつらえることは適わなかった。
結果、彼は公家衆や毛利・橘川・島津・大友といった大名たちが束帯姿で居並ぶ場に、
場違いにも肩衣・袴姿で参じざるを得ず、その姿は多くの人々から失笑を買った。
特に毛利輝元は氏規をあからさまに田舎者と嘲笑し、
「腹が痛いので失礼します。」
といって食事を共にすることさえ断った。
この会合を終えた氏規は、
「さてさて無念の至りなり、田舎武士の悲しさよ。
かくのごとし格式をしらずして上京し、面目なき体。
この様体では氏政上りたれども、何の益か有るべし。」
と嘆いたという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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