北条氏が小田原合戦で敗戦し、
氏政・氏照が切腹したのは、天正18年7月11日のことであった。
その翌日には、氏直の高野山行きが決定し、
北条家臣団の他家への再仕官がすすめられたあと、
残った一門衆・家臣の上下合わせて三百ほどの氏直一行が、
小田原から出発したのは21日のことであった。
先行していた氏規が、8月7日に大和の興福寺に着いたときの様子を、多聞院英俊は、
「哀れなる在り様也、さても命は捨てえざる者也、
恥をさらし此くの如し、あさましあさまし。」
と評しており、切腹しなかったことへの風当たりは強かったようだ。
翌年の2月7日には氏直赦免の内意が秀吉から家康へ伝えられ、
氏直は堺に移ったあと大坂に移動した。
家康の陸奥九戸一揆出陣のため、
一時的に交渉は滞ったが8月19日に大名として復帰している。
復帰した氏直は借財の整理をすすめていたが、
10月29日までに疱瘡を患い11月4日に死去した。享年30。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
こちらもよろしく
ごきげんよう!