幻庵と申す人は☆ | げむおた街道をゆく

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北条氏康の叔父・幻庵と申す人は、久野という所に居住していたため、

久野幻庵とも呼ばれていた。

この人、初めは箱根別当として出家され、真言の学問を残らず学ばれた。
その上、伊勢氏は代々、巧みな鞍を造るのを家伝としており、

早雲寺殿も幼少より嗜んでおられた。
 

そうであったが北條の系図を請けて、嫡男の氏綱は北条であるということで、

この技術を相伝せず、幻庵は出家の身であったが、生来細工の才能があり、

伝わる鞍の製造技術を尽く習得した。

これだけではなく、弓の製作も習得し、矢を剥ぎ弦をさす事、世に並びのないほどであった。
 

また石台を作り、茶臼を作ることにも優れていた。
 

その上武勇にも優れていたため、出家の身から、再び武士への還俗された。

又、幻庵は尺八を作ることにおいても名高かった。

彼の作った尺八は、『幻庵切りの尺八』と呼ばれ、
彼の作った一節切りの尺八は都鄙に流布し、禁中よりもご所望があった。

これによって関東では尺八が大変に流行り、

小田原では若侍たちが、皆これを愛好したという。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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→ 権化の再来、北条幻庵

 

 

 

ごきげんよう!