永正十六年八月十五日、北条早雲伊豆国韮山の城で逝去された。
生年已に八十八歳、これまでもなお眼にかすみがなく、耳も定かで、歯牙にも欠損はなく、
ただ白髪であるばかりで、
精神の正しき事、さながら壮年の時と変わらず、
誠に布衣白屋(布衣=無官、白屋=貧乏人)の下から立てて、
一家を起こせるほどの果報がある故であると、人はみな感じ思わぬ者はいなかった。
当国の修禅寺で送葬し、一片の煙と焼き上げて、遺言の旨に任せ、
小田原の湯本に墳墓を築いて、金湯山と号して、
洛陽紫野大徳寺の僧某長老を請いて、仏事を営み、早雲寺殿天岳宗瑞大禅定門と称す。
昨日までは、相豆両州の太守となり、弓矢の威名を東国に震い、今日は忽ちに白骨を、
黄壌に埋めて、一菊の卵塔に神魂を棲ませる。
人世誰かこの苦を免れるだろうか、高きも賤しきも、遂に同じく黄泉下に帰るのだ。
誠に儚い生涯である。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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