伊豆討ち入り☆ | げむおた街道をゆく

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その頃、関東は上野を本拠とする山内上杉と、

相模を本拠とする扇谷上杉の間が不和となり合戦に及び、
このため山内上杉の勢力下にあった伊豆の侍たちは皆、

上野へと馳せ参じた。

この状況を察知した伊勢新九郎は、

「願うに幸いである。これ天の与える所時を得たり。」

と、自領の百姓どもを招き、この内武の用に立つべき者共を近づけて言った。

「相模、上野両国に弓矢起こって、伊豆の侍たちは皆上野に参っており、

今や百姓ばかりである。
私は、伊豆の国を切って取る。我に同心合力せよ。
その時は、お前たちの忠恩に、必ず報いるであろう。」

百姓たちは、これを聞くと、
「累年の御憐れみを忘れることは出来ません。

御扶持人(在村給人)も我らも同意します。
我々は地頭殿を、一国の主に成し申さんと願い、

たとえ命を捨てるとも微塵も惜しくはありません。
どうぞ、決断し実行されませ。」
そう、衆口一同に返答した。
 

新九郎はおおいに喜悦し、その上近隣他郷の者までも、この事を聞いて、

新九郎殿に与力せんと参集した。

伊豆国北條には、堀越の御所成就院(足利茶々丸)という名高き人があった。
新九郎は、

「軍のはじめに、先ずこれを討ち滅ぼす!」

と、延徳年中の秋、百姓たちを引き連れ夜中に北條に押し寄せ、

御所の館を取り巻き鬨の声を上げ家屋へ火をかけ焼きたてた。

御所は肝を消し、防ぎ戦うべき事を忘れ、火炎を逃れ落ち行く所を追撃され、

郎従共に皆討亡した。

新九郎が北條に旗を立てると、伊豆国の百姓たちはこれを見て、

「駿河の大将軍として、伊勢新九郎が攻めてきた!」

と、避難のため山嶺に逃げたが、新九郎はこのような高札を立てた。

『伊豆国中の侍・百姓は、皆以って味方すべし。本知行は相違なく保護する。
ただし、もし出てこない場合は、作物を尽く刈り散らし、在家を放火する。』

これを見て百姓たちは我先にと馳せ来て、

「私はどこそこの百姓。」「どこどこの郷の長。」

などと申し上げると、彼らの地所相違なしとの印判を取らせ、皆々安堵した。

また、佐藤四郎兵衛という侍が一人、降人と成って新九郎の前に出た。
新九郎は、

「伊豆国中田方郡大見郷は、佐藤四郎兵衛先祖相伝の地であり、

最初に味方したこと神妙である。今度改めて地頭職を申し付ける。

子々孫々永代に渡り、地の妨げは無い。
百姓らもこれを承知すべきで、あえて違失あるべからず。」
と、印判を出した。

上州に参じていた伊豆の侍たちは、このことを聞くと、急ぎ馳せ帰って降人となって出た。

新九郎は、本地皆領納すべき旨の印判を出した。

そのため、伊豆の侍は一人残らず新九郎の被官となり、
30日の内に伊豆一国が治まった。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

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