徳川家康が駿河において、その十男・徳川頼宣の邸へ、
お渡りが行われる事となった。
その頃、土井大炊頭利勝は、未だ家康のお側近くに使えており、
家康より、
「今度の事で頼宣邸に先に向かい、
頼宣の家老・安藤帯刀直次が準備を指揮する様子を見学するように。」
と仰せ付けられ、利勝は毎日出向し、その様子を見た。
ところが頼宣邸では、諸役人が帯刀の前に出て、
「この事はどうしましょうか?」
と議する時、
帯刀が自分の意に適うことは、そのまま了承し、そうでない事には、
「いや、それは良くない。」
とだけ言って、内容について何の指示もしなかった。
よってその者は同僚と重ねて相談し合った上で、再び帯刀の前に出てこれを伺うが、
また意に適わない内容であれば幾度も前のようにし、
終に納得するとこれを許諾した。
利勝は、帯刀にこのように感想を漏らした。
「私が思うに、物を問われたのに『良くない』とばかり言うよりも、
直に『このようにせよ』と指揮したほうが、
物事も早く終わるのではないでしょうか?」
帯刀これを聞いて、
「私は犬馬の歳もすでに長けて、後はもう死ぬだけです。
あのように諸役人を遇するのは、
まだ若き殿に、人物を作っておいて進ぜたいためなのです。
私の指示を受けてさえいれば済むと思ってしまえば、
人々は何事も思慮を用いず、万事未熟のままで、
良き人物は出来ないものです。」
利勝はこの言葉に大いに感じ入り、
「これが家康公が見習えと仰せになったことなのだ。」
と気付いた。
そして後々機務を司るようになると、下僚より質問があった時、我が意に敵わない時は、
「それはそうかもしれないけど、他に何かやり方がないかな?
同僚と相談してもう一度言いに来なさい。
同僚と話し合いできないのなら、親族か家臣とも相談してみなさい。」
そうしていよいよ議論を重ねて、理にかなう内容になれば、
「いかにも尤もである。その通りに行うように。」
と言ったという。
『戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。
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