万千代違い☆ | げむおた街道をゆく

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小牧・長久手の戦いで、秀吉方について戦っていた池田恒興(勝入)が、
家康家臣の永井伝八郎直勝に、討ち取られた事はご存じの通り。
 

その経過は、安藤直次が勝入に槍を付けて、

直次にさし招かれた若武者・伝八郎が首を討ったもので、
そしてそれを正直に報告した伝八郎と、クサイ芝居をして功を譲った直次という話である。

…が、事の真相はどうやらもっと深~いものであったらしい。

実はこの戦前に、主君・家康から直々に直次にお達しがあった。
「井伊万千代(直政)に、手柄を立てさせるように、よろしく援助してやってくれい。」
戦歴が浅い為、目の中に入れても痛くない直政の事を、

頼まずには居られなかったのであろう。
 

可愛い直政にチョッカイを出そうと、

その小姓部屋に忍び込んだとも言われる「敵」直次に頼み込む始末。

そして決戦の場。
直次は勝入に槍を付けて半死状態にした所で、

後方から詰めている筈の直政に首を討たせようと、
「万千代、万千代!」と叫んだ。
すると予期せぬ方角から武者が襲いかかり、あっという間に勝入の首を掻き斬った。
 

その人物こそ伝八郎であり、前髪の頃は、

直政と同じ「万千代」という童名の持ち主だったのだ。

永井伝八郎直勝とはどのような人物か?
「すぐれたる美童」だった伝八郎は、

家康の長男・信康に見染められ児小姓として寵愛されていた為、
後に家康の直臣となった際も、家康からも目をかけられた。
機転が利き、軽やかな身のこなしで勇敢な為、この度の戦で初めて母衣衆に抜擢された。

一説(『武野燭談』)に、直次と伝八郎は衆道の契りを結んでいたと伝えられ、
伝八郎としてみれば、直次が自分に敵将の首を譲ってくれるのだと思い、

飛びかかったに違いない。


いずれにしても、伝八郎にとっては棚からぼたもちである。

その頃、本来の「万千代」はどうしていたかというと、
直次の思いは何のその、井伊隊の主将でありながら組下をどこかへ置き忘れて、

敵陣深く攻め入り、一騎駆けで池田隊と組みうちし、

直次の助太刀もいらないとばかりに勝入の黒母衣を組み伏せ、首を掻き斬っていたとさ。
 

もちろん直次に、

「物主たるもの組下を置き去りにして一人働きするものではない!」

と叱られました。

 

 

 

戦国ちょっといい話・悪い話まとめ』 より。 

 

 

 

こちらもよろしく

→ 紀州藩附家老、安藤直次

 

 

 

ごきげんよう!